活動実績

2017年

4,5月    新歓活動

9月1-3日   2017夏旅・青森

 

2016年

 4月               新歓活動

 5月5日    ウルルク小旅行・岩手遠野・花巻

 6月5日       ウルルク小企画・御朱印巡り

 7月15日        第15回旅トーク 旅と写真

 12月9日   第16回旅トーク Live Your Life

 3月      2期メンバー卒業旅行・久米島

 

2015年

 3月               2015春旅・高知・追いコン

 4月               新歓活動

 6月12日         第13回旅トーク 2015年高知への旅

 7月9日          ウルルク誕生祭

 9月7-10日      2015夏旅・伊勢・答志島・志摩

 11月29日       第14回旅トーク

 12月     年納め

 

2014年

 3月               小旅行・石巻

 4月               お花見、送別会

 5月16日         第9回旅トーク

 6月30日         第10回旅トーク たった一人のマレー半島縦断

 7月13日         ウルルク誕生祭

 9月23-29日    2014夏旅・長崎

 10月23日       第11回旅トーク 長崎紀行

 12月12日    第12回旅トーク 女子パックパッカー入門~ぶらりディープなひとりベトナム~

 12月     年納め

 

2013年

 1月      オフ期間

 3月11日   第6回旅トーク

 4月中     新勧活動

 6月28日   第7回旅トーク

 7月11-16日  2013夏旅・タイ

 10月3日         第8回旅トーク

 12月     年納め

 

2012年

 3月28日   ウルルク・トキメ記の旅~韓国グルメ旅!~

 6月25日   第4回旅トーク

 7月19日   ウルルク誕生祭

 8月20-24日    2012夏旅・東日本1周

 9月12日   第5回旅トーク

12月17日    忘年会 

 

2011年 

1月      オフ期間

2月11日   2011年度第1回活動

3月1日   Twitter開始

        第2回 会議

     8日   ウルルク・トキメ記の旅3~単独・東京めぐり~

     30日   第3回 オンライン会議

4月5日     第4回 オンライン会議

     7日   ウルルク・トキメ記の旅4~復興支援への道・さかい編~

     13日   第5回 オンライン会議

        ウルルク・トキメ記の旅5~改築・日立駅見学~

     19日   第6回 オンライン会議

     26日   第7回 オンライン会議

     28日   ウルルク・トキメ記の旅6~ライター・佐藤優子さん~

     30日   ウルルク・トキメ記の旅7~タウシュベツ橋梁~

9月8日     ウルルク・トキメ記の旅~屋久島・トレッキング・山守さんインタビュー~

 

2010年

7月9日     「地球歩き人 ウルルク」創立 

11月9日   決起会

      11日  ウルルク・トキメ記の旅1~小塚拓矢氏~

      12日  第17回 ウルルク・トキメ記作成

      27日  ブログ開始

12月6日   第20回 旅カフェパーティーに参加

      10日  第22回 年納め

      19日  ウルルク・トキメ記の旅2~山形県・最上川~

 

 

 

 

 

2011年9月8日~

夏の旅 屋久島

 

ウルルクメンバーで行く初めての旅

メンバーが選んだ行き先は屋久島。

 

屋久島の貴重な自然環境・自然資源が世界的な評価を受け、

日本で最初の世界自然遺産に登録されました。

 

そんな屋久島の日本古来の自然が無くなるかもしれないと言うことでメンバーは

屋久島の自然に出会う事を目的に屋久島の旅の計画を始めました。

 

旅での大きな活動は2つ

屋久島の森で仕事をする山守の高田さんを訪問しお話を聞くこと

自分たちの足で歩いて縄文杉を見ること

 

9月10日

山守さん訪問

 

お話をして下さったのは高田久夫さん

高田さんは十七歳から山で働き、大径木の伐採、搬出、土埋木の伐り出しなど、

さまざまな山仕事を経験し、かつての屋久島の山仕事の実際を知る数少ない一人

今も若者を指導し、屋久島の森の復元を目指して苗木を植えつづけています。

 

 

高田さんは私たちに山守の仕事の内容やご自身の経験のお話をしてくださいました。

高田さんの「若者は時代から学ばない」という言葉は

高田さんが若い時から先輩の姿を見て

体で学び働いてきた経験からでた言葉であると思いました。

今も昔も森のこと屋久島の自然の事を語る高田さんは私たちが考えているより

ずっと先の事まで考えている方でした。

 

9月12日

トレッキング

 

私たちが寄り合いで話し合いを重ねに重ねたトレッキング。一泊2日案と日帰り案

どちらにも長所と短所が。結果は日帰り案。

そこでメンバーは朝5時30分に白谷雲水峡を出発しました。

トレッキングは屋久島に来た観光客なら必ずといってもいいほど行うものです。

そのため頂上の縄文杉に着くまでにたくさんの人に会いました。

地上であったらすごい人数に感じるであろう人も屋久島の深い森に入れば小さな団体。

それほどこの森は深く広い。

屋久島は島の中央部の宮之浦岳を含む屋久杉自生林や西部林道付近など、

島の面積の約21%にあたる107.47k㎡が

 1993年、ユネスコの世界遺産に登録されています。

 

この広く感じる森もこの屋久島の一部にしか過ぎないのです。

目的である縄文杉に着くまでもたくさんの自然に触れることができました。

太鼓岩からの景色、苔むす森、ヤクシカにヤクザル・・・

 

すべてが初めての経験であり新鮮な体験でした。

 

この広い自然が高田さんや屋久島の人が心配しているように変わってしまうのは

想像もつきませんが、この想像も付かない感覚が現在の状況を生んだのでしょう。

少ししか滞在することはできませんでしたが、実際に行き森の様子を肌で感じ

各メンバー考えることがあったと思います。トレッキング参加することができてよかったです。

 

 

 

仙台に帰ってきて屋久島の旅を思い出すと 海であったり山であったり

個人で出かけた場所だったり・・・多くの場面を思い浮かべることができます。

しかし、どの場面にも共通しているのは必ず誰かの姿があるということです。

屋久島では多くの人に優しさに出会いました。

歩いていると車に乗せてくださったり、声をかけてくださったりした方。

会ったばかりでも島の人のように迎え入れてくれた人。

旅はウルルクメンバーだけで成り立っているものではありません。

旅にはこんなにも素敵な出会いがあるのでした。

出会ったかた一人ひとりとの思い出が旅であり、屋久島なのだと思うことができます。

 

旅に出て初めて見えたもの、旅から帰ってきて改めて感じたことたくさんあります。

一つ一つの旅でメンバーが成長しトキメクことができるように、

そして相手にとってもいい出会いとなるようこれからの旅につなげていきたいです。

 

                                              文責 やのん

2011年4月28日

ライター・佐藤優子さん

 

4月のある日、私は今回の震災について調べるために図書館へ行き、

一か月分の新聞を読んでいた。

そのとき目に止まったとある記事。そこにはとあるライターの方が紹介されていた。

そう、それが佐藤優子さんを知るきっかけだった。

 


佐藤さんは、札幌在住のフリーライター。

「得意分野は人物取材」

「人と接するときに大切にしている『ラポール』という言葉」

 

佐藤さんに会って、もっと佐藤さんのことを知りたい、佐藤さんからたくさん学びたい、吸収したい・・・

そして、今後のウルルクの活動に役立てたい!

そんな思いから、佐藤さんに取材のお願いをし、佐藤さんとお会いすることが出来た。

 

 

 

「たくさんお伺いしたいことがあるのですが、今日はよろしくおねが・・・」

そう切り出したとき

 

「今日はね、私がサカイさんの質問に答えるよりも、

私からサカイさんに今後の活動に役立ててもらえるようなことを伝えに来たんです。その結果、“佐藤さんに会ってよかった”と思ってもらえるような時間にしたいなと思って

 

思いもよらぬ言葉に一瞬ポカーンとしてしまった。

・・へ??


「きっと、その方がサカイさんたちのためにもなるし、

これから、もしウルルクが被災地に取材にいくときにも、

 役立ててくれたら。それが私の今回の震災の支援につながればと思って。」

 

 

本当にありがたかった。

それから佐藤さんにはたくさんの事を教えていただいた。

 


文章を推敲するクセをつけること

相手の貴重なじかんをいただいて取材させていただくこと

そのために、自分たちにできる準備はすべて行うこと

相槌の打ち方

約束の時間には絶対に遅れない

お礼をしっかり述べる・・・

 

 

ウルルクも、取材して活動報告やブログなど“伝えよう”という事はしているが、まだまだ力不足。

伝える事の難しさ、取材をさせていただくという感謝の意を伝えること

その大切さを教えてくださいました。

 

 

急なお願いにもかかわらず、お忙しいところ、私のお願いを

聞いてくださった佐藤さん。

最初に思っていたようなインタビューではなかったが、

実りはその何倍にもなった。

 

本当にありがとうございました。

 

佐藤さんが私たちに伝えてくださったこと、

しっかり胸に刻んで活動していきたい。

 

 

※佐藤さんのブログ:毎日更新「耳にバナナが」もぜひご覧ください。

 

2011年4月13日 

改築・日立駅見学

 

今回、向かったのは地元茨城県のとある駅。

半年程前から、駅舎を改築するという話を聞いていた。

私が何度か使っていた馴染みのある駅であった。

しかもなんと、その駅のデザイン監修には、

あの「妹島和世」さんが携わっているという!

「建築界のノーベル賞」と言われる「プリツカー賞」を受賞している方だ。

そんな有名な方が、日立駅をどう作り替えるのか…。

そんな思いで日立駅を見に行くことにした。

 

ここで補足しておくが、

妹島さんは日立市出身である。

また、私の最寄り駅は日立駅ではない。

 

4月13日、駅を訪れた。

 

駅の見学会がその日にあるとも知らなかった。

駅を利用するのが目的ではなく、

見るのが目的であろう、カメラを持った人が目に付く。

 

駅はT字型のようになっている。

T字の横線部分が駅の西側と東側を繋ぐ、自由通路。

T字の縦線部分にホームと改札がある。

線路部分(ホーム部分)を1階とすると、

自由通路、改札部分が2階に相当し、

電車を利用する場合は、切符を改札前で買ってから、

階段・エスカレーター等でホームに降りていく形となる。

その自由通路、改札、ホームの全ての壁部分がガラス張り!

震災に関係して節電のため、駅内の電気を消しているのだが、

暗さを全く感じない。

ガラス張りのおかげで外から光が十分に入ってくる。

駅舎内が白を基調に作られていることも、明るさと開放感を出している。

そして、自由通路を西から東に進んでいくと、

前方に太平洋が見えるようになっている。

太平洋と、その海岸線に平行に走る高架道路のコントラストが美しい。

太平洋が見渡せることが、この駅一番の魅力だろう。

 

 

この日立駅は、「街の顔」となることを目的として今回改築されたようだ。

海が見える、近代的な素晴らしい駅舎は、市民にとって誇りになるだろう。

しかし。

駅舎を改築することによって、交流人口を増やすことも狙っているようだが、

駅舎が新しくなったというだけではその役割を果たすのは難しいと思う。

海が見えるということ以外、この駅の機能は最低限のものしかない。 

新駅舎のすぐ北にある旧駅舎を市民が利用できる形にしたり、

電車に乗る以外に、人が利用したくなるような機能を

駅周辺に備えさせる工夫が必要なのではないか。 

何かしらの工夫をして、本来目的としていたような、

駅から街が盛り上がっていくようになれば良いと思う。

 

 

とはいえ、やはり新しい駅を利用する人々の顔は明るい。

嬉しそうに笑顔で自由通路を歩いている人の顔を見ていると、

こちらまで嬉しくなる。

この駅舎が長く愛され、市の活気が戻る1つのきっかけとなることを祈る。

 

 

素人ながらに失礼しました。 

(文責・スズキ)

中島を望む
洞爺湖畔より

2011年4月7日

復興支援への道~北海道・洞爺湖温泉~

 

忘れもしない3月11日、

世界を震撼させる大地震が起きた。

 

4月の今になっても、余震は収まらず、津波・原発といった3つの大きな問題

に苛まれ、復興・支援の行く手を阻む。

 

 

自分に出来ることはなんだろう・・・

 

 

 

震災発生から、世界中の人々が一度は自分に問いかけたことであろう。

我々もそのひとつ。

現状から被災地にボランティアに行くことはできないし、

かといって物資支援もなかなか難しい。

「“ウルルク”として・・・」

そこで、復興支援をする地域への取材へと結びついた。

今回の洞爺湖温泉の例で言えば、地域の方々の思いを被災地の方々、世界中の人に知ってもらい、その活力が人々の力になれば。そして風変わりな支援の形もあるんだと知っていただければ。

そんな気持ちで、取材に向かいました。

 

 

東北関東震災復興支援宿泊プラン

洞爺湖温泉は札幌の南方、車で約2時間のところに位置し、

北海道でも有数の温泉街として知られ、とりわけ有名なのは4~10月にかけて毎夜行われる花火大会。

 

そんな温泉が名物の街で「震災復興支援宿泊プラン」があるという。

これは、このプランを通じての宿泊の場合、料金の10%を義援金として送るというもの。

震災が発生してすぐに

 

何かできないか

 

とうや湖温泉旅館組合が中心となり、始まったのがこの企画。この洞爺湖温泉は、今から11年前、あの有珠山噴火の際に大きな被害を受けた被災地である。かつての全国からの暖かい支援に励まされた、そんな経験があるからこそ、今度は自分たちが力になりたい。地元の方々のそんな熱い思いから生まれた企画であった。

 

支援地の被災地

この洞爺湖は、3月の地震では幸いにも津波による被害、物流の悪さもなくとくに影響がみられないかのように思えた。

これから花見、GW、夏休みと行楽シーズンをむかえる観光地も多い。ここでも例年この時期からは、国内外を問わず客数が増え、温泉街の賑わい時を迎えるはずであった。

 

しかし、待ち受けていたのは人々の”自粛”という、

史上最大の危機であった。

 

洞爺湖温泉宿泊施設全体で3月末までにきたキャンセルの連絡は約4000件。

現在の客数は例年の国内客:50%以下、国外客:0%

この落ち込みようは半端じゃない。

 

ある旅館の方の話では、

「いつもこの時期になると花見旅行で宿泊される老人クラブの方々も、今年はキャンセル。その分のお金を義援金に。支援も必要であるが、こちらも経営が困窮する一方で。そんな複雑な気持ちが心苦しい。」

「海外のお客様は、原発という不安から、遠く離れた北海道へ訪れることも避ける。」

こんな声が聞こえてきた。

 

「これではいつまで会社がもつのか・・・」

経営者たちのため息がもれる。


2次災害とも3次災害ともいえる事態に

まだまだ終わりの見えぬ不安。

しかし、そんな思いを抱きながらも北海道の一温泉街では

懸命な復興への努力は続く。

こんなときこそ、一企業のみならず、町全体が一丸となって

乗り越えていかないと・・・!!!と。

 

 

 

 

今必要なのは一極集中の支援でも、

自粛一筋でもなく、

支援の循環、つながりなのではないだろうか。

 

 

 

 

そう感じた旅でした。

 

 

当団体の取材に応じてくださった方々に、

この場をお借りして、お礼申し上げます。

 

 

多くの人々の力を胸に、

今生きていることに感謝し、

一日も早い、世界中の“復興”を心より祈念申し上げます。

 

※取材の詳細は本団体のブログ4月分「復興支援への道」に掲載しております。どうぞ、ご覧ください。

 

(文責・さかい)

新橋駅から築地へ行く途中で。ウルルクを待ち構えていたかのような出会いにときめく
新橋駅から築地へ行く途中で。ウルルクを待ち構えていたかのような出会いにときめく

2011年3月8日

東京訪問・その1

 

ウルルク史上初のひとりトキメ記の幕開けだ。

 

今回は、名古屋に要があったため、途中東京によることに。

つい先週確定したもんであったから、以前から会ってみたいと思っていた人とは、先方の都合がつかずやむを得ず断念。

 

よって、今回の目的は3つ。

1.築地市場~大都市を支える台所の朝6時~

2.VIRON~唯一輸出を認められた店~

3.東京デパ地下事情 in 渋谷

 

 

 

まず、いわずと知れた築地市場。

見慣れぬ乗り物で場内を威勢よく乗り回す大人たち。

そんな築地では、運命的な出会いが待っていた。

 

「コンテストで世界一になった職人さんが作る食べ物をたべてみたい・・・」

みなさんもこんな経験はあるのではないだろうか?

そんな夢を実現すべく、次に向かったVIRON。

 

そして駆け足となってしまったが、一気に3店舗のデパ地下をめぐった渋谷駅前。国内では百貨店の経営不振のニュースが飛び交う中、復興をかけた大改装があちこちで行われている。

 

 

タイトルに「その1」とあるが、「ではその2はあるのか?」

疑問に思った方もいるに違いない。

 

そう、いいところに気づきました。

 

あります。

 

 

すぐに、というわけではありませんが、おそらく今後その3、その4、その5・・・と続くかと思われます。

 

もちろん、詳細は決まり次第お話いたします。

 

あの日、東京には首からカメラをぶら下げたオノボリさんが瞳を光らせていたのは、誰もしらないであろう。

 

ではでは、また旅の途中でお会いしましょう。

(文責・さかい)

2010年12月19日

最上川を訪ねて

 

第2回の旅は「最上川下り」!

行き先決定までには紆余曲折。

お金や使える時間を考慮して、やっと決まった行き先であった。

 

最上川下り、なんと、今なら冬季限定のこたつ舟があるのだ。

私たちは舟の中で温かいこたつに入りながら、

美しい最上川の景色を見る、という贅沢をすることになった。

 

最上川は日本三大急流の1つらしいが、全然そのようには見えない。

船頭さんのなまりのきいたおしゃべりとともに、

舟は実にゆったりと進んだ。

こたつと、船頭さんのお話で、心も体もぽかぽかあったかくなった。

 

ここで、まじめな話。

いつかの学校の授業で聞いた、最上川の治水事業のこと。

最上川はコメを江戸に運ぶための、水運に利用されていたらしい。

 

そして、歴史上有名な人物、松尾芭蕉と源義経。

この2人は最上川にゆかりのある人物だ。

 

歴史ある最上川を、こうして下っている――

 

彼らは、その時代においてどんな最上川を見ていたのだろうか。

時間のつながりを頭の隅で感じながらも、

つい、時間を忘れてしまうような穏やかな時間を過ごした。

 

(文責・すずき)

2010年12月10日

年納め

 

いよいよ今年も、年を忘れたり納めたりする季節になってきた。

 

みなさんにとってこの1年はどういうものであっただろうか。

 

ウルルクでもそんな振り返りの場として公開年納めを実施。

が・・・結局内輪の会となった。

つまり、さかいと相棒すずきだけである。

 

いつもと同じかと思いきやそうではなかった。

 

 

 

我々ウルルクは、記念すべき一年めであった。

すべてが初めてで、わからぬ慣れぬことばかり。

いまだに手探り状態である。

 

そんな中ではあったが、良いこともたくさんあった。

ひとつひとつを上げればきりがないが、

こんなリーダーについてきてくれ、

良き相棒でいてくれるすずきに感謝している。

そんなことを思わせてくれる会となった。

 

忘年会はその年の苦労を忘れるために行われるもの。

だけど、私は忘れたくない。

心のなかに大事に納めていきたい。

 

そう、それが年納めだ。

 

 

来年の年納めでは、新たな仲間との思い出も

納められますように。

 

 

その前に、第2回ウルルク・トキメ記の旅にむけて

準備しなくては。

 

(文責・さかい)

トキメ記を持って。
トキメ記を持って。

2010年11月11日

小塚 拓矢さんを訪ねて

 

ウルルクの産声が地球にひびいてはや4ヶ月。

ついにこの日がやって来た。

 

ウルルクの初めの第一歩は

ライター・怪魚ハンターである小塚拓矢氏。

(※小塚拓矢氏のHPはこちら。)

 

きっかけは、たまたま購入した某雑誌に寄稿していた小塚さんの

文章を読んだこと。

「第一回はこれだな」

ピンと来た。

 

実際に会いに行くまで、行ってから。

手土産のコロッケをパクパク食べる小塚さん。

ビールをぐびぐび飲む小塚さん。

頭のてっぺんから足の先まで魚な小塚さん。

 

小塚さんは人間味の中でも

活きのいい、サクサクぐいぐいの良い味。

自分で何色にでも塗り替えられる、

真っ白の中に飛び込んでいくおもしろさが彼を旅の虜にしているようだった。

 

まだまだ赤ん坊のウルルクは

よろつきながらも、腰を上げて歩き始めた。

この感触、この気持ち、このトキメキ!!!

歩いていこう、心とともに。

 

 

 

最後に彼に一言いただいた。

 

一魚一期

その瞬間の感情を

その瞬間の衝動を。

何事も鮮度が大事

かな?

 

少しひんやりとした夜風が心地いい。

今夜の酒のサカナは最高だった。

 

(文責・さかい)

 

※詳しい記録は、ウルルク・トキメ記にて。

 興味のある方は、お問い合わせください!閲覧可能。